応援ナースとして1ヶ月が経過した。
生まれて此の方、「実家暮らし」なるいわゆるおスネかじり虫を25年間やってきたわたしが、生まれて初めて一人暮らしを地元から遠く離れた米どころ新潟県にてスタートさせて1ヶ月と半月が経過致しました。
時の流れ早すぎぃ。
こういう感覚を「光陰矢の如し」と日本人大先輩の故人たちは表現してきたわけです。
さすがに射った矢の如くは盛りすぎだけど、言いたいことはわかーーる。
成人してから実家でちょこちょこやってた家事を、延長して一人でやってる感じで、家事を苦と思うことは今のところナッシン。
だけどトイレットペーパー、ティッシュペーパー、除湿剤なんかを買う時がくるなんて。当たり前のようなこんな些細な事柄が、こんなにも生活感に飲み込まれた気分にさせてくるとは。
広島にいたときのわたしは、買い物はパルコや古着屋で洋服・アクセサリーを買い、デパートをはしごしてデパコスをタッチアップして楽天カードマンを召喚し、ドラッグストアで日焼け止めやビタミンサプリなんかを買うか、小規模ショッピングモールで果物や野菜を買うだけだったのです。
なんと気取った生活。
実際、元来徒歩10分でThe most 繁華街 in 広島にたどり着ける好立地に住んでいたわたしからすると、現在見渡す限りの大田園と鼻腔内を刺激する大自然の青臭さと共に生きているなんて。
インターネットがこんなに栄えなかったら一生住まなかったよ。
ここで栄えてるのは2階建のドンキのみ。20畳あるかくらいのゲームセンターにプリ機は1つ。(しかも5〜6年前のもので全然盛れない。)
お洒落なものに飢えても、ZOZOTOWNやAmazonがヤマト運輸と郵便局を通じてわたしに物資調達をしてくれるおかげでまだ希望を捨てずにいる。
だから部屋着のまま買い物をしにくる地元民に混じって、オーガンジー素材のスケスケトップスを着て近くのドラッグストアにコアレストイレットペーパー(環境保全)を堂々と買いに行けるのだい。
ありがとう IT産業。
この町でわたしは完全に浮いている。
服装も化粧もそうなんだろうけど(ここではギャルがお洒落枠、ケバいひとは夜のお店をしてる人くらいで日中は皆すっぴんか最低限のアイプチ)、実際に勤務してみると上に習えで自分の考えややり方を確立している人が少ない印象。
わたしがこれまで看護師として働いてきた中で、先輩や上司、看護学生時代の教員たちからも言われてきたのは、
「いろんな人がいるから、いろんなやり方があって大変だろうけど。」
である。
確かに指導を受けながら働く1年目はこの言葉がどれほど現実味を帯びたものか、とてつもなーーーーく思い知らされるのです。
ケアひとつ、記録ひとつ、日々の動き方やドクターとの接し方にしてもそれぞれやり方がある。それは各々の考え方に基づいて発揮されているものだと、今としては納得する。
し か し な が ら。
ここは隔離された田舎町。
言うなれば公共化した集落ともいえるのか。(失礼〜)
豊かな暮らしをしようと思えば、与えられた仕事を効率化して就業時間内に終わらせること、定時に帰ることを日々の目標にして動きたいと思う。
だけども だ け ど。
日勤でわたしと同じく定時退社するひとと未だに出会っていない。
みーーーーんな 残業している。
まあまあ、わたしはまだ来てそんな経ってないし、常勤で働いているみんなより与えられている仕事量が少ないんだろう。
そう思ってたけど。
それは事実なんだけど、ただひとつ。
日々の業務に無駄が多すぎる!!!!!!!
これまでは病棟に配薬カートが設置されており、患者の名前を引き出しの見出しとして外からパッと見でわかるようにされているものがあった。
引き出しの中には朝・昼・夕・眠前と4つに仕切られた長方形のプラスチックケースが数個入れられており、患者の内服薬を用法時間ごとにケースにセットできるものだ。
今まではそれを日勤帯で翌々日分をセットするとともに、既に前日勤者がセットした明日分の内容ともダブルチェックして誤配薬を防いでいた。
1日配薬患者は床頭台に本日分がすでに配置されており(朝食後薬の与薬は夜勤ナースの仕事)、そこから昼食後に昼分、食事介助者は夕食介助後に夕食後薬を与薬して明日分の配薬ケースを配置して配薬業務は完了する。
なのによ。
ここではまず、配薬カートがない。
大きめジップロックに一患者の全薬袋が入れられ、朝・昼分を日勤者で配薬するんだけどこれまためんどくさい。
薬袋からひとつひとつ薬剤を取り出しては、薬袋後ろの内服チェック欄にサイン。
患者に渡して or 内服介助で与薬する。
最初のうちはなんてことないし、誤薬予防に最適かもと思ったが。
PTPシートで上がってくるので朝薬が4つ以上ある患者は4つ以上の薬袋から一粒の薬を出してはサイン、出してはサインなので非常にめんどくさい。
プラス患者の前でごそごそと薬袋を出してしまってをするので野暮ったい。
あとあと準夜勤ではチーム全員の患者を受け持つので配薬に膨大な時間をとられる。
さてさて、本題を忘れてしまっているかもなのでもっかい言うけど、みんな仕事の効率化を図って自分のやりやすいように仕事をしてきたのが旧my職場。
こんな状況でわたしはこれまで通り効率化を図って、病棟にある小さなケースたちとバットを集めて自分用に配薬ケースをセットした。
するとどうでしょう、とっっっっても配薬しやすい!
やはり配薬ケース使用民にはこのやり方が明快なのでありましょうよ!
今後このやり方で誰が何を飲んでるか確実に把握して、スマートな配薬ができるぞ!と思った矢先。
「準備してるとこ悪いんだけど、薬配るときは患者さんの前でチェックして配ってくれないかな。」
この言葉で一気に仕事のやる気はわたしの中から立ち去りました。
ここでは誰しも声を上げずにひとつのやり方を全員が邁進しています。
ここに田舎の恐怖ポイントを感じたよ。
「自分のやりやすいように」と言われて育ってきたわたしにとってのナーースカルチャーショック。
「ここでのやり方をやれ。」句読点に強調を込めて。
なんだここは。支配下政権か。
そのほかにも昔の名残で続けてるんだよね〜〜っていう無駄なシステムがちらほら。
だから帰れないのでは?
看護師の仕事は膨大量です。
日々のフィジカルアセスメントにケア、記録、カンファレンス、退院支援、時に電話応対、医師連携などなど隙間時間を有効活用することと無駄な業務を効率よく短縮化させて限られた時間から時間を捻出して日々の業務をミスなくこなさなくてはなりません!
わたしはこれまでに「なんでこんなことまで看護師がしなきゃならねんだよ。」と思うことが多々ありました。うまく仕事をこなしていても、緊急入院や緊急検査・処置など突発的にしなければならないことが横入りしてきたり、医師の気まぐれで仕事が押したり。
そんななかで、昔からの慣習で時間を食う手順で仕事をすることに、果たして有力な意義があるものか。
なんだか愚痴っぽくなってきたけど愚痴です。
まあ医者の怠慢で医師記録は紙カルテ運用としてる時点で業務改善は望めないか。
ただ職場の人間関係は驚くほど良好なのでなおビビる。
こんなに話しかけやすい・疑問を聞きやすい職場は初めてです。
素晴らしいことだーーい!
人のストレスの7割くらいは職場の人間関係らしいよ。
そう思ったら業務のストレスも我慢できるのか。
みんな挨拶するしね。すごいすごい。
まとまりがなくなってきたのでこれにてドロンするけど、こんな感じで日々イライラしながら無駄作業でも定時で帰ってやるぜって気合いで仕事してるよ。
みんなも日々を諦めることと諦めないこと区別つけて一緒に生き抜こうね。
仕事ができれば何したって大概許されるんだから。